2015年5月10日日曜日

5月17日(日)昇天主日礼拝のご案内

★ 諏訪教会の礼拝は、毎週日曜日午後3時からです。


使徒言行録               1章1節~11節

エフェソの信徒への手紙       1章15節~23節

ルカよる福音書             24章44節~53節

  • リオのコルコバ-ドの丘に立つキリスト像

『 キリストの約束 』   市原悠史牧師



昇天主日とは・・・・


 復活後40日間にわたってご自身を現された主イエス・キリスト。聖霊降臨日の前にこの地上からは見えるかたちで姿を消されたことが、ルカ福音書の最後と使徒言行録の最初に記されています。主の昇天が私たちにとってどのような意味を持っているのでしょうか。
 ルカ福音書の報告によると、主は昇天される時に手を上げて、弟子たちを祝福されながら見えなくなったとあります。「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」。主は祝福の姿で天に昇られたのです。そこから、今もなお主は、見えない姿ではあっても、手を上げて弟子たちを祝福しておられるのだということを思います。

 このことは私たちの理解を越えた出来事です。現実に私たちを取り巻く悲惨さの中で、苦しみや悲しみ、不条理が跋扈する中で、どこに祝福があるというのでしょうか。祝福などどこにもないように見えるこの世の現実の中にあって、昇天の主の祝福は何を意味しているのでしょうか。

  昇天の主が手を上げた祝福の姿のまま弟子たちの間から見えなくなったということは、弟子たちが困難の中にも見えない復活の主が共にいてくださり、豊かな祝福を備えてくださっているということを信じたということなのです。復活の主イエス・キリストご自身から祝福された人生を、彼らはいただいた。それがこの世的に見ればどのように悲しく苦しいものであったとしても、そのような悲しみや苦しみによっては、微動だにすることのない、全く揺るぐことのない祝福がそこには備えられている。それを信じたからこそ彼らは、あのアブラハムがすべてを捨てて故郷を出発したように、すべてを捨て、すべてを主に委ねて出発することができたのです。

                           大柴譲治牧師の説教より抜粋




どなたでも大歓迎です。教会に来てみてください。 ⇒地図はこちら 


2011年3月11日に起こった東日本大震災から、4年が経ちました。一日もはやい復興と、被害に遭われた方々の生活再建を、心よりお祈り申し上げます。日本福音ルーテル教会は、積極的にボランティアに参加しました。ルーテルとなりびとをご覧ください。

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